top of page
秀郷ヒーローにする会バナー
ヒーローにする会_ロゴ
鬼滅の弓馬イラスト

中臣鎌足

藤原鎌足の7世

曾祖父が下野国司として着任。

下野大掾「村雄」の子として

890年頃に誕生。

武士の頂点

鎮守府将軍に

下野国と武蔵国の国司を兼務貴族の階位『従四位下』その後も氏族が5代に渡り鎮守府将軍を歴任。

あの

平将門を倒す

将門は関東各国の国司を追い出し『新皇』を名乗り坂東の独立宣言!? 

朝廷反乱軍となる猛将だった。

武士の始まり

武芸の開祖

江戸頃までは武士と言えば 藤原秀郷流。

秀郷流は武士の誇り!

名門ブランドだった・・・

貴族の時代である平安より「坂東=現在の関東」に領地を構え、武士の始まりとされる『坂東武士』。

京の煌びやかな都から遠く離れた荒野坂東で、最強の武士団を形成し坂東の独立を夢見た平将門は教科書でも出てくる誰でも知る存在ですが、後の鎌倉幕府成立に至るまでの強者達の武勇伝説は、歴史ファン以外にはほとんど知られていないのが実状です。

「栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会」では、栃木をはじめ都道府県ブランドランキング下位をしめる茨城県・群馬県も含めた北関東の坂東武士を中心に、その歴史学的な史実だけにとらわれず、民話や伝説などの言い伝えも紹介し、それぞれの地域に根付いた存在価値を再認識することで『地域愛=シビックプライド』の 醸成へと向かう事を目指し、私達と一緒に活動していただける皆さまの想いが、北関東の地域創生、そして日本のブランドアップへと繋がる事を夢見ています。

栃木の武将『藤原秀郷』をヒーローにする会

専務理事/一般社団法人 武将伝説 代表理事

宮本 誠

​​​藤原秀郷(ふじわら ひでさと)とは?

平安時代中期(930年頃)の貴族で武将である藤原家直系の子孫。

【別称】俵(田原)藤太(たわらのとうた)

意味は藤原氏の長「太郎」から。

【生年没年】不明(890年ごろ誕生・958年ごろ死去?) 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)は、貴族が中心であった平安時代に武士団を形成し平将門の乱を平定します。下野(現在の栃木)・武蔵(現在の東京・埼玉・神奈川)の両国司に武門の最高名誉職とされる鎮守府将軍まで昇り詰め、武士の始まりとあがめられた武将です。

またその強さは、「近江の大百足退治」に「宇都宮の百目鬼(どうめき)退治」などの英雄伝説も語られる、稀代のヒーローでもありました。しかし現代では、全国はおろか地元栃木県においてもその存在を伝える人も少なくなっています。

藤原秀郷

栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会
​現在会員募集中!

藤原秀郷フォーラム

本会は、武士の始まり、武芸の開祖と多くの武将から尊敬され、伝説も多く残る栃木の武将『藤原秀郷』と、中世下野国の礎を形成した『藤原北家秀郷流』氏族のブランド再構築活動を通して、栃木県民のシビックプライドを醸成し、栃木県の魅力度向上に貢献する事を目指します。

現在、稀代のヒーローでもあった藤原秀郷の存在を伝える人が少なくなっています。栃木県民や、全国の歴史ファンに 藤原秀郷と共に多くの秀郷流氏族を再認識していただき、栃木県の誇りとして伝え、地域活性化とシビックプライド醸成の一翼を担う活動を行ってまいります。みなさまのご協力で元気に明るい栃木をつくって行きましょう!

 

会の名称:栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会

会の設立:2020年3月1日

会の所在地:一般社団法人 武将伝説 ​栃木県宇都宮市中戸祭1-4-5(株式会社みやもと内)

活動内容

◎イベントの開催(フォーラム、定例研究会、史跡巡り、など)

◎会報の発行

◎ホームページの運営

◎各種コンテンツの作成

藤原秀郷について詳しくはホームページをご覧ください

栃木の武将「藤原秀郷」をはじめ、坂東武士

(関東の武士)についての情報を掲載。

​入会申し込み・会について詳しくはこちらをご覧ください

『藤原秀郷ブランド』を再構築し、県民のシビックプライドを醸成し、地方創生を実現するプロジェクトです。

bottom of page